終わり
母が亡くなった。
先週の金曜日に救急搬送されて日曜の昼13時37分に死亡診断された。
病室には妹一家と私がいた。
腹膜炎だった。
痛みが強かったのでモルヒネだと思うけど強い意識がなくなる薬を使ってもらった。
あっという間に呼吸が止まった。
私が殺したのかも。
私が救命をしない、痛みを取る眠る薬を使う、腹水を抜く治療はしなくていいという話に同意したからこうなったのかも。
もし腹水を抜いて弱い鎮痛剤にしてもらったら痛みはあるだろうけど一度は自宅に帰れたかも。
最後の会話は「ダニの処理しといて」と言われた。
意識がほぼない状態の時に「みんなきたよ。痛みもましになったでしょ。安心してね」と言ったら焦点の合わない瞳が動いた。
これで本当に良かった?
わからない。
まだ元気な頃に書いたであろうエンディングノートが出てきた。
救命はしない
葬式はしない
と書かれていた。
でも本当にこれで良かった?
母が入院した日からずっと自問自答してる。
そのせいかうっかりするとすぐ涙が出る。
あんなに鬱陶しくて嫌だった母なのに…死んでからこんなに泣くなんてバカみたい。
きっと母もそう思ってるだろう。
この記事へのコメント
おつかれさまでしたm(__)m
いけてる?色々やることいっぱいやろぉ 妹さんも手伝ってくれそう?
仏壇あるんやね 処分。。はしない?
高野山の紅葉きれかったよ 平日でも結構な人出 外人はちらほら程度やった
コロナじゃなかったら、うじゃってたと思う
やることいっぱいやけど、息抜きにお出掛けはどう?
ありがとう!
妹がメインでやってるw
四十九日が終わって納骨堂が決まったら一安心。
家は妹の物だから何か手伝えることがあれば…片付けは一緒にやる予定だけどね。
お出かけは何時ごろできるかな。
モルヒネ・腹膜炎…私の母のことも思い出す。
2年くらい、なんかの拍子に泣けてきたりしていたと思うわ。
そのうち父が難病にかかったのがわかったので今度はそっちが気になってしまったけど、父のことがなかったらもっと長い間涙出ていたかも知れない。
何が正解だったのか、全然答えは出ない。
でも母が亡くなった時、闘病があってのことだったから「痛みや苦しみから解放されたんだね。残されたほうが悲しくて仕方ないけど、母さんにとっては解放なんだよね。」って泣きながら思った。
エンディングノートはなかったけど、父と母は「延命はしない」「チューブにつながれて生き延びるのはいやだ」と話し合っていたそうで。
私もそう望む。
だから良かったんだよな。
「他に道があったんじゃないか」と思うのは「悲しいから」なんだよな、って思うようになってようやく落ち着いたよ。
ゆっくりゆっくりゆうさんの中で気持ち整理していってね。
これで良かったんだって孤独死させずに看取れたし本人も家族も楽になったって思うんですけど…まだ嘘ような夢のような現実味がないです。
火葬場で炉から出てきた母の骨を見た時心からほっとしたはずなのに。
徐々に母の死が過去になるのを待つしかないですね。